「暴力革命とプロレタリアートの独裁こそ、共産主義を社会民主主義から分かつ最大の標識である」と猪木正道元京都大学教授の著書にありました。暴力革命と独裁を否定している昨今の日本共産党を考えると、社会民主主義政党に変わったようにも思えます。果たしてどうなのでしょうか?最大の関心事であります。しかし著者は続けてこのように述べています。「ところが、今日の共産主義者は、暴力革命について語ることを、なぜか、好まないようである。『共産主義のためにたたかう者は真実を語ったり、語らなかったり、約束をまもったり、約束を破ったり、危険を犯したり、危険をさけたり』臨機応変でなければならないとされているから、共産主義者の言葉、特に彼らが非共産主義者に対して語る言葉にこだわることは愚かであろう。共産主義者の真実の意図は、共産主義者間において語られる言葉と、共産主義者の行動とによって判断されるべきである」と述べています。共産主義者が非共産主義者に語る言葉を信じてはいけないということだと思います。昨今の日本共産党は暴力革命以外の道もあるとして、議会で多数を占めることによって政権をとると主張しています。またプロレタリア独裁も主張していないようです。最近ではとくに国民連合政府を目指すとして民共連携に執着し、かっての敵であった小沢一郎とも協力しています。自由と民主主義を守っていくのが共産党だとまで主張しています。だとすれば共産党は社会民主主義政党に変わったということになります。しかし本当に変わったのでしょうか?それとも猪木教授が言っているように、日本共産党が非共産党の国民に語っているこのような言葉は「真実を語らなかったり」「危険をさけたり」するための方便の言葉であって「真実の意図」を隠そうとするための言葉にすぎないのでしょうか?現実には国民の大多数は日本共産党が社会民主主義政党に変わったとは思っていません。暴力革命を放棄したとも思っていません。プロレタリア独裁を放棄したとも思っていません。共産党に対する不信感は未だに変わりません。なぜなのでしょうか?それは戦後の一時期、日本共産党は暴力革命路線に突如転換し実際に武装蜂起までしました。このことが今も国民の意識の根底にあるからでしょう。「共産主義者の非共産主義者に対して語る言葉」で判断するのではなく、「共産主義者の行動によって判断されるべきである」という猪木正道教授が指摘されたことに共感する人が大多数だということです。しかし国民の抱く共産党への不信感の由来はこれだけではありません。