(3)戦後最悪の人権侵害、拉致監禁に深く関わる人たち。ー伊藤芳朗弁護士の陳述よりー

(2)宮村氏と知り合った経緯

宮村氏とはいつぐらいから知り合いになるのですか。

伊藤弁護士:  青春を返せの第一次訴訟が91年。歌手の桜田淳子さんが合同結婚式に参加することがわかった92年から報道合戦が始まります。バトミントンの徳田敦子さん、新体操の山崎浩子さん。週刊誌は毎週、テレビ局は全局が毎日ワイドショーで取り上げるといったすさまじい報道合戦でした。

この頃に、被害弁連内でクローズアップされたのが宮村峻です。当時のテレビ局は、統一教会を脱会した元信者を出演させたいと必死でした。それに応えたのが宮村氏でした。彼は自分が脱会させた元信者をどんどんテレビ局に供給しました。また、テレビ局は、被害事件を解説する弁護士も必要でした。それに対しても、宮村氏は緊密な関係にあった紀藤正樹弁護士(被告代理人山口貴士弁護士が所属するリンク法律事務所所長)を紹介していました。そのうちに報道に火がつくと、紀藤弁護士一人ではてがたらなくなり、私や渡辺博弁護士など何人かが穴埋めするような形で、テレビに出演しました。

つまり、手配師のようなことをしていた。

伊藤弁護士:  まあ今から考えると、そういうことになります。が、凄まじい報道によって、統一教会は苦境に立たされたわけですから、被害弁連からすると、宮村氏はヒーローでしたよ。先の質問に答えると、報道合戦の渦中に、宮村氏を紹介されたわけです。

(3)拉致監禁・強制棄教問題

拉致監禁を媒介とする脱会方法の存在に、いつ頃から気付かれましたか。

伊藤弁護士:  元信者の話を聞くうちに統一教会問題にどっぷりとつかるようになっていった。このことは先に話しましたが、数十人から話を聞くうちに「なんだか変だなぁ。やめるプロセスが変だなぁ」と思うようになりました。

誰だかは言えませんが、今でもはっきり覚えていることがあります。元信者のその女性は、宮村氏の指導で、自分は親兄弟によって拉致監禁された、あの時の悔しさだけは忘れないと、話していたことです。

そんな話がポツポツと聞かれるようになって、宮村氏が常習的にやっている脱会説得の手法は、法的に逮捕監禁に当たるものであることが次第にわかってきました。例えば、現役の統一教会信者を車のバンで後ろから尾行し、隙を見て捕まえて、無理矢理車に連れ込んで、そのまま事前に用意したマンション等の一室に連行して監禁し、信仰を失うまで外に出さない、という方法です。これは、法的には明らかに逮捕監禁罪にあたる違法行為です。

拉致し監禁するバリエーションはそれぞれですが、拉致され、マンションに監禁され、脱会するまで解放されないという点で、元信者の話はいずれも同じでした。しかも、こういう逮捕監禁するときには、宮村氏や宮村氏の意を汲んだ元信者の家族(子どもの脱会に成功した親たち)が現役信者の親族らに事細かく指示してやらせるけれども、宮村氏は直接には関わらないようにしていました。

警察への対応も、マニュアル化されていて、警察が関わってくるようなことが発生したら、これは「親子の話し合いだ」と突っぱねろ、と。親子の話し合いだと言われると、警察はどうしても民事不介入の原則から、踏み込むようなことはできませんからね。

〈この証言は、私の取材とも合致する。脱会説得者たちは相談にやってきた信者家族にまず勉強会で勉強するように指示する。勉強会に参加していく過程で、家族・親族の間で「保護(拉致監禁)説得」の意思が固まると、脱会説得者と個別の相談となる。マンションは4、5階以上、監禁中の食料など事細かに指示するのは、経験者である元信者の親であることが多い。つまり、脱会説得者に逮捕監禁の罪が及ばないように配慮されている。拉致の過程や監禁説得の過程で、警察などに問われると、「親子の話し合いである」と釈明する。いずれも判で押したように同じである〉

具体的に宮村氏が関与した拉致監禁事例で、特に酷いと感じられたものはありますか。

伊藤弁護士:  暴力的な事件はいきつも聞きましたが、人身保護請求が出されて慌てて居場所を移したという話は聞いたことがあります。

担当されたT君とNさんの場合、どうだったんですか。

伊藤弁護士:  T君は自主脱会者です。Nさんの場合、新潟の松永牧師さん(今回の裁判の被告)がメインで、宮村氏がサブという形で、1980年代後半に説得されたと記憶しています。青春裁判は1991年に訴え提起していますが、準備を始めたのは1990年からで、原告はほとんどが1980年代後半に脱会した人たちでした。あの頃は、宮村氏と松永牧師が組になってやっていたはずです。