(1)戦後最悪の人権侵害、拉致監禁に深く関わる人たち。ー伊藤芳朗弁護士の陳述よりー

 12年5ヶ月にわたり「拉致監禁」された後藤徹氏が訴えた裁判で、原告側から提出された陳述書を紹介します。これを読めば、どのような人たちが拉致監禁に関わったのかが明らかになります。

 陳述書  2012年7月18日   

東京地方裁判所民事12部御中

ルポライター米本和広 住所: 島根県

1、はじめに  陳述書の趣旨

(1)今回の裁判は、宮村峻氏や松永やすとも氏、並びに原告の家族(兄弟姉妹)が原告を拉致監禁したかどうかが問われているものである。私は、統一教会信者の脱会方法として拉致監禁が常態化していることを、拙著『我らの不快な隣人』(甲30号証)で明らかにした。

宮村氏が常態的に拉致監禁に関与していることは、監禁体験者の小出浩久氏、TY氏、今回の原告・後藤徹氏などへの長時間インタビューで認識することができたが、その裏付けを取るために、宮村氏に直接インタビューしたのは短時間であった。(甲10号証、甲46の1号証)

むろん、両者の言い分は真っ向から対立するもので、両者の取材だけであれば、拙著で「宮村氏が拉致監禁に深く関わっている」と書くことはできなかった。

しかしながら、拙著ではニュース源は明かしていないが、宮村氏のことをよく知っている「反統一教会陣営」側にいる複数の人たちから宮村氏の暴力的な脱会方法のことを聞いたからこそ、断定的に「宮村氏は拉致監禁に深く関わっている」と書くことができたわけである。

ところで、フリーであれ組織ジャーナリストであれ、記者として最も気をつけるのは、批判した相手から「事実無根」として名誉毀損で訴えられ、そして敗訴することである。

私は、幸福の科学、ライフスペース、ワールドメイトから名誉毀損で訴えられたことがある。いずれも棄却判決だったが、3件も名誉毀損で訴えられた経験があるがゆえに、『我らの不快な隣人』を書くにあたっては細心の注意を払ったつもりである。

もし宮村氏が私を名誉毀損で訴えるようなことがあったら、ニュースソースを明かした上で(むろん取材相手の許可を得たうえで)、全面的に争うつもりであった。しかし、宮村氏は提訴してこなかった。

(2)今回の裁判で、こと原告の宮村氏に対する請求で棄却判決が下されるとしたら、記者としての沽券に関わることである。

そこで、「宮村氏が拉致監禁に深く関わっている」こと教えてくれた前述の複数のニュースソースの中で、とりわけ信頼性の高い人を説得し、インタビューをお願いした。以下綴るのは、その人との一問一答である。

(3)、インタビューしたのは、被告代理人たちも所属する「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の弁護士であり、1991年〜1993年に元信者が統一教会を被告として提起した東京の「青春を返せ裁判」の原告の代理人を務めた伊藤芳朗氏である。この時伊藤芳朗氏は、「青春を返せ裁判」原告であった本件被告、GT氏の代理人でもあった。

(4)伊藤弁護士のことを箇条書きで素描しておく。ただし、統一教会との関わりについては、インタビューと重複するので、省略する。

(イ)1960年生まれ、現在51歳。(ロ)1984年司法試験に合格。1985年東大法学部卒業。1987年弁護士登録(東京弁護士会)。現在、クレスト法律事務所所長。(ハ)オウム真理教に殺害された坂本堤弁護士と司法修習が同期であったため、殺害直後の89年11月22日に「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」を立ち上げ、全国組織の事務局長に就任。同時期にオウム被害対策弁護団に加わる。(ニ)著書は『ボクが弁護士になった理由(わけ)』(教育史料出版会)、『論理的な思考方法を身につける本』(中経出版)、『少年Aの告白』(小学館)、『知らずに子どもを傷つける親たち』(河出書房新社)、『少年法』(アスペクト)。(ホ)「日弁連子どもの権利委員会」元委員、「東京弁護士会・弁護士業務妨害対策特別委員会」現委員長。

(5)伊藤弁護士とのインタビューは一問一答形式で行う。それを補足する必要がある場合は、〈〉で示した。私の取材体験も必要最小限の範囲内で加えた。文中の()も陳述者である。長文にわたるので、読みやすいように適宜、中見出しを加えた。

 

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