高澤牧師裁判(「鳥取教会襲撃事件」)の尋問調書から拉致監禁の動機と手口について調べてみました。
A: 1996年(平成8年)1月23日付の第一回尋問調書
B: 1996年(平成8年)3月26月付の第二回尋問調書
C: 1996年(平成8年)5月21日付の第三回尋問調書
D: 1996年(平成8年)7月9日付の第四回尋問調書
⑤、監禁
高澤牧師は、家庭連合信者を監禁し、窓に工作して鍵をかけるなど、信者の脱出を防ぐための処置を施していた事実を認めています(Aー52頁137行〜53頁7行)。
また、反対尋問では、高澤牧師が信者の親に対して「監視が甘すぎる」「ドアの鍵を厳重にして欲しい」と言った事実を認めています(Dー38頁12行〜39頁7行)。
その理由は、親は子供と仲良くなると気持ちが緩んで、子供に逃げられる可能性があるからだと証言しています。要するに、親が監禁中の子供を解放するのは、高澤牧師にとってあってはならないことなのです。高澤牧師はその理由として、「話し合いができないままで終わってしまいますから」と述べ(Cー29頁5行〜7行)、監禁された子供が泣くため、親が情愛から子供を解放した事例を挙げています(Cー29頁10行〜30頁5行)。
高澤牧師は父兄に対し、監禁した後、自分と連絡を密にするよう指導しています(Cー75頁13行〜76頁8行)。
その理由は、高澤牧師が監禁場所に居る時間が短いため、信者の様子を家族から聞き出すための打ち合わせが必要だからだと言います。さらに、一般の企業体が使っているような意味での「報告・連絡・相談」をするよう、親を指導していることを認めています(Cー76頁9行〜77頁8行)。これらの証言から、高澤牧師が親を操って信者を監禁させている実態がよくわかります。
⑥、監禁の期間
信者を脱会させるまでに要する期間について、第一回尋問では、以前は長くても約一週間だったが、最近は長くかかることが当然となり、6〜7ヶ月のケースもあると述べています(Aー61頁7行〜13行)。
ところが、第2回尋問では、脱会までに一年近くかかる事例があることを認めています(Bー54頁4行〜7行)。
⑦、監禁の理由
高澤牧師は、一定の場所に拘束する以外に脱会させる方法はないという理由から監禁しているとし(Dー28頁12行〜29頁2行)、脱会するまで解放してはいけないと述べていることから(Cー31頁3行〜7行)、拉致監禁する理由が、信者を脱会させることにあるのは明白です。さらに、高澤牧師は監禁の理由として、家庭連合側の人による奪回防止と、信者自身が自分自身の内面を見つめ、何が真理かを考える時間を持たせるためだと証言しています(Bー52頁10行〜53頁6行)。
しかし、監禁して人権を蹂躙しているからこそ、家庭連合側が奪回(救出)しに来る可能性が生じるのであって、監禁しなければ、奪回それ自体がありません。故に奪回防止というのは、監禁理由になりません。また、何が真理かを考える時間を持つためと言いますが、自分の意に反して何ヶ月も監禁され、改宗説得者が毎日のように対話を強要しに来る環境で、真理の探究などできるはずもないのです。一方的な情報を信者に真理と思い込ませるために監禁していることは明らかです。
⑧、岡本圭二君マンション墜落事件
岡本桂二君マンション墜落事件というのは、1994年2月、家庭連合信者である岡本圭二君が監禁場所のマンション6階から脱出しようとしたところ、家族が駆けつけ、中に引き戻そうとしてもみ合っている最中、岡本君が転落し、瀕死の重傷を負った事故のことです(Cー50頁10行〜51頁77行)。
高澤牧師の証言では、岡本君は脳や肺を損傷し、医師の目から見て助からないほどの重傷であった言います(Aー38頁7行〜13行)。高澤牧師は、岡本君が改宗説得を受けることを嫌がっていたこと、玄関から出られない監禁状態にあったことを認めています(Cー51頁8行〜13行)。
なお、高澤牧師は、事故後、記憶を喪失した被害者の岡本君が、親子3人で洗礼を受けたことを美談のごとく証言していますが(Aー 40頁〜42頁)、生命の危険を冒してまでも監禁から脱出しようとした被害者が、加害者から洗礼を受けることは通常あり得ません。
高澤牧師は、岡本君の事故以前も他の牧師が家庭連合信者を拘束して説得していた最中、信者が脱出しようとマンションから飛び降りる事故があったと証言しています(Aー53頁12行〜54頁3行)。
なお高澤牧師は、こうした事故を防ぐために、窓から逃げないような準備をしていたと言いますが(Aー 52頁4行〜6行)、事故を防ぐには違法な監禁をやめればいいのであって、逆に監禁を強化したと弁明するのは本末転倒です。