少し過去のことになりますが、それは日露戦争の時になります。『坂の上の雲』(司馬遼太郎)より引用させていただきます。
・日露戦争当時、日本は戦費調達で苦境に陥っていました。当時の財政事情は、
「わずか1億1700万円の金貨しか持たずに戦争をはじめてしまった」。「金といい兵力といい、思いあわせてみると、日露戦争そのものが日本にとってはツナ渡りであった。たとえていえば、開戦直前にイタリアから回航して戦列にくわわった軍艦『日進』『春日』の代金すらろくに払えず、これをはらうについては日本政府はロンドンにおける公債募集に期待した」「たとえば遼陽会戦が終わったとき、もうつぎの作戦のための砲弾がなく、9月15日、陸軍省は世界中の兵器会社に砲弾を注文した。・・・それらに当然ながら払わねばならない」。「『もし外債募集がうまくゆかず、戦費がととなわなければ、日本はどうなるか。高橋がそれを仕遂げてくれねば、日本はつぶれる』(元老の井上馨)」
・その金の調達に動いていたのが高橋是清日銀副総裁です。ニューヨーク、フランス、イギリスで、
「主要銀行や大資本家を歴訪した。が、結果は絶望的であった。かれらは日本の立場に同情をしたが、しかし金を貸す相手ではないと見ていた」「『ロシアなら、金は貸せる』というのが、銀行筋の常識であった。ロシアには広大な土地があり、鉱山がある。それを担保にとれば万一のことがあっても貸し主に損はない。が、日本には担保にできるような土地も鉱山なかった」
・ユダヤ人金融家ヤコブ・シフとの出会い。
「ところが、こういった状況下でうごきまわっていた高橋に、ありうべからざる幸運が向こうから接近してきた。たまたまロンドンにきていたアメリカ国籍のユダヤ人金融家ヤコブ・シフという者が、積極的に高橋に近ずいてきて『あなたの苦心はかねてきいています。私にできる範囲で、多少の力になってあげましょう』と申し出てくれたのである」。必要な公債の半分を引き受けるとともに、「ヤコブ・シフはその後、高橋と連絡を取りつつ日本の外債消化に大いに働いてくれ」たという。
・その理由についてはみなさんよくご存知だと思いますが、
「『ロシアは、ユダヤ人を迫害している』と、シフはいう。ロシア国内にユダヤ人が六百万人居住し、シフにいわせればロシア帝政の歴史はそのままユダヤ人虐殺史であり、いまもそれは続いている、という。『われわれユダヤ人は、ロシア帝政のなくなることをつねに祈っている』」
詳しくは『坂の上の雲』(司馬遼太郎)を再度お読みください。歴史を忘れてはなりませんね。