これは10月14日配信の夕刊フジの記事(八木秀次氏)です。ちょっと恐いタイトルですが、実際に野党連合政権(立民・共産政権)が誕生すれば八木氏が言われるように社会は一変します。重要な内容ですので紹介します。
共産党は、政権交代後に樹立される政権を「野党連合政権」と呼んでいる。「連立」ではなく「連合」。政権入りはせず、「限定的な閣外協力」にとどめるということらしい。一方、党の綱領では、他党と連立し、自らも政権入りする場合を「民主連合政権」と称している。
結局、「野党連合政権」も閣外協力にとどまらず、政権運営や政策にも関わることを視野に入れていると見る。実際、野党連合政権は、共産党の意向をうかがわないわけにはいかない。少なくとも忖度はする。実態は共産党との連立政権とそう変わらない。
その政権で中心となる立憲民主党は9月13日、政権を獲得した場合に取り組む政策の第2弾を発表した。「多様性を認め合い 『差別のない社会』へ」をテーマにしたものだ。「選択的夫婦別姓の早期実現」「LGBT平等法の制定」「同性婚を可能にする法制度の実現」などとともに、「あらゆる差別の解消を目指すとともに、差別を防止し、差別に対応するため国内人権機関を設置」が掲げられている。
小泉純一郎政権下で検討された「人権擁護法案」、民主党政権下では「人権救済機関設置法案」と呼んでいた。人権団体などが制定を求めていた。
しかし、内実は、国家機関が国民の言動を監視し、「差別」と糾弾し、「差別者」の社会的生命を奪う、極めて全体主義的傾向を持った法案だ。
もとより不当な差別はあってはならない。だが、これらの法案では「差別」の定義が曖昧で、政権の一存で差別とされる可能性があった。「保守派弾圧法」としての性格もある。
立憲民主党は「リベラル」を自称する。リベラルが全体主義と親和性が高いことは、米ノートルダム大学政治科学部のパトリック・j・デニーン教授が『リベラリズムはなぜ失敗したのか』(原書房、2019年)で指摘している。
実際、リベラルは自分たちの考えに反する人たちに不寛容だ。不寛容な姿勢で他人に寛容を求め、「多様性」を唱えながら統制社会を築こうとする。この「国内人権機関の設置」に典型的に示されている。
共産党の不破哲三前議長は1989年2月18日の衆院予算委員会で、「政権についた時にその共産党の入った政権なるが故に従わないという勢力が出た場合、そういう勢力が様々な暴挙に出た場合、それに対して黙っているわけにはいかない、そういうのは力をもってでも取り締まるのが当たり前だ」と発言している。
政権に従わない勢力に対し、「力をもって取り締まる=国家機関による弾圧を行う」ということなのだろう。
コロナ対策での自公政権への不満はあろう。だが、もう一つの選択肢は上記のような社会の到来だ。民主党政権以上の「悪夢」はたくさんだ。
全く同感です。