今、注目の共産党について考える(56)。戦後の暴力的破壊活動について「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」という嘘について(2)。

再度、産経出版の『日本共産党研究』から引用します。

「過去の暴力事件は確かに『終わったこと』かもしれないが、公安調査庁や警察庁が問題視しているのは、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという『二段階革命』ともいえる方針を現在の共産党も綱領で堅持していることだ」。

「しかもこの団体は過去の過ちを認めていないのである」。

「日米安保条約の廃棄や自衛隊解消を棚上げしてまで他の野党に国民連合政府構想を呼び掛け、天皇陛下が臨席された国会開会式にも出席するなど、共産党が進めるソフトイメージ路線は確かに浸透しているかもしれない。だが、過去の事実を率直に受け止めず、『一部の反党分子がやったこと』として何の反省もせず、いまだ綱領に『革命』を明記している限り、共産党に対する疑念が消えることは決してないだろう」と結論づけています。

私は疑念どころか、今は革命に有利な状況を作り出す為に平和主義を装っているだけで、時が至れば暴力を使ってでも共産主義社会をつくるという強固な意思を持っているのは間違いないと思っています。その意思を隠しているだけにすぎません。だから彼らは過去の事実を認めず謝罪もしません。将来、共産主義者による「コミンテルン」や「コミンフォルム」のような組織ができないとも限りません。将来の「コミンフォルム」から日本共産党に対し、武力による革命路線を指示されたらどうなるでしょうか。日本共産党は過去にあったように2派に分かれ、激論が交わされることでしょう。しかし再度、将来の「コミンフォルム」から、暴力革命への路線選択を決定するようにとの強い指令がきます。日本共産党は秘密裏に党大会を開催し暴力革命路線を正式に決定します。その結果日本国内ではあちらこちらで武装蜂起が起こり国内が大混乱に陥ります。かって起こったことがさらに規模を拡大して再現されます。そして本国の指示によって行動をおこす外国人も出てくることでしょう。

しかしもし、再び日本共産党が暴力革命に失敗した時には、彼らはまた同じことを言います。「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」と。そして次のチャンスを待つことでしょう。

しかしもし、日本共産党が暴力革命に成功した時、彼らはこう言います。「暴力革命という歴史的決断をし、革命が成功した。決断した指導者は国家の英雄だ。共産主義国家樹立の英雄だ」と称賛することでしょう。

そういうことが分かっていても、それでも共産党との連携を進めていこうとする政治家や政党があることは、理解の範囲を超えています。

今、注目の共産党について考える(55)。戦後の暴力的破壊活動について「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」という嘘について。

共産党による戦後の暴力的破壊活動について、共産党は明らかに嘘をついています。皆さんもご存知のことなのですが、改めて検証してみたいと思います。戦後の混乱期、日本共産党が暴力革命路線へ転換するにあたって党内対立があったの事実ですが、武装闘争路線は共産党として正式に決定しています。今一度産経新聞出版の『日本共産党研究』を見てみます。そこには「終戦後の1950年1月、『コミンテルン』から名を変えたスターリンが主導する国際的な共産党の連絡機関『コミンフォルム』が、日本共産党を名指しで批判する文書を発表してからだった。・・・占領下でも平和的に革命が達成できるとする『平和革命論』を唱えていた日本共産党を批判したのである。これを機に、『所感派』と呼ばれ、スターリンが求める武力闘争路線に従った幹部の徳田や野坂らと、『国際派』と呼ばれた宮本顕治らとの党内対立が激化し、日本共産党は分裂状態に陥った。所感派が地下に潜行、あるいは中国に亡命し、国内各地で火炎瓶などを使った暴力事件を展開する中、コミンフォルムは翌51年に再び日本共産党に武装闘争を求める論文を発表。日本共産党は同年10月の第5回全国協議会(5全協)で受け入れを決定し、武装闘争路線を柱とした『51年綱領』が確立した」と記載されています。共産党として正式に決めたということです。

さらに、警察庁の広報誌『焦点269号警備警察50年』では、共産党の暴力の歴史を次のように記しています。「日本共産党は、同党の革命路線についてコミンフォルムから批判を受け昭和26(1951)年10月の第5回全国協議会において『日本の解放と民主的変革を平和の手段によって達成しうると考えるのは間違いである』とする『51年綱領』と、『我々は武装の準備と行動を開始しなければならない』とする『軍事方針』を決定しました。そして、この方針に基づいて昭和20年代後半に、全国的に騒乱事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げた」と、暴力的破壊活動は党として正式に機関決定したと、同誌には明確に記載されています。

にもかかわらず、日本共産党は当時の暴力的破壊活動について「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」と開き直り、国民への謝罪の言葉は全くありません。なぜ共産党はこの明確な事実を認めないで開き直るのでしょうか。なぜ国民に謝罪しないのでしょうか。事実(党としての活動)を事実として認めることができない理由とは何なんでしょうか。その理由として考えられるのは、共産党が「党として暴力的破壊活動を行ってきた」ことを認めれば、当然国民に対して謝罪が求められ、非合法活動を行ってきた共産党の解体は必至となるからでしょう。国民は解体を求めます。それを避けるためには、共産党は党として暴力的破壊活動を行った事実を否定し、謝罪もしない、これ以外に道はないと考えて、開き直っています。事実と認めれば謝罪に追い込まれ、党の解体が確実に求められます。仮に共産党が存続することになったとしても、未来永劫にわたって暴力革命を放棄すると宣言しなければ国民から許されることは決してありません。共産党が自身の暴力的破壊活動を認めて国民に謝罪することになれば、暴力革命を放棄せざるを得ず、結局普通の野党となってしまいます。つまり共産党が共産党でなくなるということを意味します。なぜなら暴力や武力を使わないで平和的に共産主義社会に移行するなんてことはありえませんから。過ちを認めれば最終的に共産主義社会実現の夢を放棄することにつながるが故に、暴力的破壊活動を他者の責任に押し付けざるを得ない、嘘で固めなければならないということです。共産党が未だに「敵の出方論」や「二段階革命論」を主張するのは、暴力による革命を放棄していないからであります。暴力による革命を放棄すれば、共産主義社会の実現は永遠にありません。共産党が歴史的事実に背を向け、開き直り、「党としての活動ではない」との壮大な嘘を言わざるを得ない理由はまさにここにあります。