関西電力株式について
1. 一般会計において関西電力株式を所有している経緯
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・明治22年 5月 |
大阪電燈(株)開業(同年4月に大阪市発足) |
・明治36年 9月 |
市電開業 |
・大正12年10月 |
大阪市が大阪電燈(株)を買収(電気局設置) |
・昭和14年 4月 |
電力管理法制定により設立された日本発送電(株)への発電部門を現物出資
大阪市現物出資分について株式の交付を受ける。 |
・昭和17年 4月 |
配電統制令公布により設立された日本発送電(株)へ送電部門を現物出資
大阪市現物出資分について株式の交付を受ける。 |
・昭和26年 5月 |
電気事業再編成令により両者が合併し、関西電力(株)設立に伴い、同社の株式に交換され所有する。 |
・その後、大阪市が関西電力(株)の安定株主として資本参加することが、市民生活及び産業活動のための安定した電力供給を行うという公的使命に寄与することから、増資を引き受けている。 |
2. 交通局において関西電力株式を所有している経緯
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昭和41年度に関西電力(株)の増資があった際、大阪市の有償割当分について、配当率が年1割という高配当であったため、交通事業の厳しい財政の改善に資するものと考えて交通局で引き受けることとし
、昭和42年3月に有償所管換を受けて路面交通事業合計(路面電車、バス、トロリーバス)で所有することとなった。4,138,670株
20億6,933万5,000円(@500円) |
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その後、路面交通事業合計を引き継いだ自動車運送事業合計で所有 していた関西電力株式について、昭和48年8月に制定された「地方公営企業の経営の健全化の促進に関する法律」に基づき、昭和48年度~昭和57年度まで
の10年にわたる再建計画を策定し、不良債務解消のため昭和51年度・53年度に自動車運送事業合計から高速鉄道事業合計への所管換を行った。 |
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平成21年3月31日現在
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・会社資本金 |
489,320百万円 |
・発行済株式総数 |
954,698,728株 |
・本市出資額 |
41,874百万円 |
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83,747,966株 (持株比率 8.8%) |
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簿価
内訳 |
額面 |
株数 |
本庁 |
34,143,440,000円 |
68,286,880株 |
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出資財産 |
9,718,881,500円 |
19,437,763株 |
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基金 |
24,424,558,500円 |
48,849,117株 |
交通局 |
7,730,543,000円 |
15,461,086株 |
合計 |
41,873,983,000円 |
83,747,966株 |
額面金額@500 |
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時価
内訳 |
額面 |
含み益 |
本庁 |
144,426,751,200円 |
110,283,311,200円 |
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出資財産 |
41,110,868,745円 |
31,391,987,245円 |
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基金 |
103,315,882,455円 |
78,891,323,955円 |
交通局 |
32,700,196,890円 |
24,969,653,890円 |
合計 |
177,126,948,090円 |
135,252,965,090円 |
時価@2,115 |
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大阪市が発足した直後の明治22年5月に、現関西電力(株)の前身である大阪電燈(株)が開業して、市内の家庭に初めて電燈がつき、近代文明の灯が各ターミナルに輝いた。
明治36年に創業した市電は、この大阪電燈から電力の供給を受けて、花園橋西詰~築港桟橋間で営業を開始したが、その2年後の明治38年に、木津川と旧
尻無川(昭和27年埋め立て)に囲まれた西区岩崎町に、大阪瓦斯(株)岩崎工場が竣工して市内需要家にガス供給を開始、さらに2年後の明治40年12月
に、大阪瓦斯の西側隣接地に市電車庫、翌明治41年4月に、火力による市営九条発電所がそれぞれ竣工した。
「明治三十六年市街電気鉄道市営主義確立し、超えて三十八年第二期線の計画成るに及び、始めて火力発電所自営の方針を樹立せり。
尋いで三十九年九月四日監督官庁の認可を得て其準備を進め、翌四十年七月十二日約十ヶ月を閲して竣工す。・・・・・此電力は主として電車運転用に充当せる
も、余力を以て尚ほ工業動力に併用せり。・・・・・然るに続いて第3基線建設の企画成り、且つ工業用電力の需要亦々多きを加ふるに及びて、発電余力漸く逼
迫を告ぐるに至りしかば、明治四十三年十月二十四日認可を得て発電所々内の拡張を企て、爾来2年を経て愈々汽缶十二台、汽機直結発電機三台、煙突二基付属
諸機械を増設し、以て電力の需給関係を緩和せり。維れ明治四十五年三月の事に属す」(『大阪市営電気軌道沿革誌』)。
一方大阪市は、この間の明治39年に大阪電燈(株)と報償契約を締結するとともに、15年後の市による同社買収を約束、大正12年10月、これが実現して市営電燈事業がスタートした。
大阪電燈(株)から市内および東成・西成両郡内(大正14年市域に編入)の電気供給施設、および供給権を得た大阪市は、昭和5年3月に電気局新庁舎を完
成、翌昭和6年に九条第2発電所、昭和13年に安治川発電所を建設、宇治川電気(株)などからの購入電力と合わせて、大阪市域の電燈・電力を供給するとと
もに市電の動力に供給、昭和12 年3月には、電燈市営10周年を記念して、西区四ツ橋に電気科学館を建設・オープンした。
しかし、その直後の昭和12年7月に勃発した日中戦争から国内は戦時体制下に入り、電燈・電力の市営も、国策による電力統制のため、既設の発電所は昭和
14年4月に日本発送電(株)に、配電部門は昭和17年4月に関西配電(株)(現関西電力)に統合され、明治41年以来の市の電気事業は34年の歴史の幕
を閉じた。 |
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